RADIO CLUB6周年

2021.12.08

僕が旧RADIO CLUB(YUMEKIBOW RADIO CLUB)と関わるようになったのが丁度21歳の時で、そこから考えると約10年。

およそ人生の3分の1をこのライブハウスで過ごした。
当時僕は新卒で入った大企業を退職し、名古屋のライブハウスでブッキングをしながらリハーサルスタジオで働いていた。

リハーサルスタジオで現ネバーランドのオーナー、BASSANがコピーバンドの練習かなんかでスタジオに来ており、会話の流れで自分が弾き語りならやれる事を伝えると、じゃあユメキ紹介するから出てみなよという話になり、HIDEOUT BARというBARフロアでの弾き語りイベントに出る事になる。

実はこの時ユメキに出るのは2回目で、高校2年の時に当時組んでいたコピーバンドの卒業ライブでギターとしてステージに立っていた。(その時のドラムが、MUD SHIP TOURS初期メンバーの非常階段)

久々だなあと思いつつアコギ一本持って階段を登り、事務所のドアをノックして自己紹介をすると、「おおシュンペイちゃ〜ん、今日はよろしくねん」と、北村さんに言われた。(この時が初対面)

この時に、なんとなく自分はこのライブハウスに一生関わっていくんだなと直感で感じた事を今でも覚えている

HIDEOUT BARは、フロアの外にあるBARフロアでの小規模のアコースティックイベントで、小さなステージとピンスポットの照明が用意されていた。

オレンジ色の客席の照明はツマミで光量が調整出来るようになっており、ライブになると客席の照明が暗くなりとても雰囲気が良かった。
個人的には後に行われるWelcome to the moonlightというイベントで、ステージでのライブの転換中にBARでのライブが行われる5バンドx2ステージのイベントが最高だった。

久々の弾き語りライブに緊張していたが、ライブが終わると北村さんが褒めてくれ、また出てねと言われた。
その日はBARで飲みながら色んな話をして帰った。

次は平日にKOTOBUKI BARというライブをやるから、遊びに来てねと言われていたので、確か翌週の火曜日ぐらいに再びRADIO CLUBに行った。
到着すると、背が高くヒョロっとしたロン毛の男が気怠そうにBARに座って飲んでいた。
(当時old No.5のギターボーカル、ケンタ)

新参者の俺を無視するかの様に、ちっともこっちを見ようともしないし、何かいけすかないヤローだなと思った。

その日は好きなバンドの話をした時に、syrup16gが好きという話でちょっと会話した程度で、後は何を話したか覚えてないがこの男とは仲良くなれそうもないなと思いながら帰った。
後に親友になるとは考えもしなかった。

何ヶ月か後に、ツアーバンドが来るけどTHE SOULJUNKIESしか決まっておらず、弾き語りで出れないかと北村さんから連絡があり、出る事にした。
ケンタはTHE SOULJUNKIESでギターとして出演していて、これが始めての対バンだった。名古屋のバンドばかり見てきた自分はTHE SOULJUNKIESのバンドサウンドと、RADIO CLUBの照明と音の迫力に圧倒された。

キャパ450人のどデカいフロアに、数人のお客さん。フロアはガランとしていて寂しいが、間違いなく誰かの宝物になるような空間がそこにはあった。

ライブ後に、ケンタが話しかけてきた。
「割と良いうた歌うじゃん」
確かそんな感じだった。俺もバンドがカッコ良かった事を伝えて、その日は少しだけ仲良くなった。

ブッキングの状況から、RADIO CLUBがバンド不足に悩まされている事はなんとなく分かっていた。
そこから俺は何度かバンドを紹介したり、KOTOBUKI BARや HIDEOUT BARに出入りしながら北村さんやケンタと打ち解けていった。

名古屋でのブッキングを辞め、RADIO CLUBのバーカンをやりながらブッキングに専念する事にした。
名古屋のバンドをRADIO CLUBに呼びながらブッキングイベントを組んでいった。

23の歳にカミノヒコウキという3ピースバンドを組み、数ヶ月後に開催されるYAMAHA MUSIC REVOLUTIONという大会に間に合わせる様に急いで曲を作って、愛知県大会優勝、大阪セミファイナル出場というバンドのスタートとしてはまあまあな結果が出せたんじゃないかと思う。

そこからの勢いでカミノヒコウキで名古屋や県外のライブハウスに出演して仲良くなったバンドを自分達のイベントを企画してRADIO CLUBに呼んだりした。
RADIO CLUBを皆に知って欲しかった。
こんなに良いライブハウスがあるんだよって。

中には気に入って何度も出演してくれるバンドもあったけど、中々毎週のイベントを埋めるのは難しかった。

2014/12/31、RADIO CLUBはZEROというイベントを最後に閉店した。
当日は朝からのイベントで、会場は満員、皆んながさよならを言いにRADIO CLUBにやってきた。

とても悔しかった。
自分の大切なライブハウスを、守りきれなかった。
old No.5、deepsleep、FUZZKLAXON、はぐき、JxFxC、MISTY、COUNTER CLOCKWISE…あげたらキリが無いけど、数々の偉大な先輩達が作り上げてきた場所、楽しんで、時には苦渋を舐めたりしながら切磋琢磨してきた場所。

2015/11/1、新安城駅から徒歩2分の小さなライブハウスになって産まれ変わったRADIO CLUB。
もう自分はブッキングには携わっていないけど、たまにバーカンを手伝ったり、最近結成したMUD SHIP TOURSでライブをする大切な遊び場。

自分としては10周年、産まれ変わったRADIO CLUBとしては6周年のイベントに出演出来て本当に良かったし、改めてRADIO CLUB6周年おめでとうと言いたい。

ここ1年以上、コロナ禍でライブハウスの経営は厳しく、全国的に閉店を余儀なくされてるライブハウスも少なくないし、各地で誰かにとっての大切な居場所が失われてると思うと胸が痛い。

これからMUD SHIP TOURSを続けていく上で、もう2度と自分の大切な居場所を失わないように、誰かにとっての思い出を守れるようなバンドにしていきたい。

今はバンドが出来ないけど、俺の大切な親友のケンタが今までずっと守ってきた場所だから。あいつが帰って来るまで俺が守らなくちゃいけない。またRADIO CLUBでクダを巻いて北村さんに迷惑かけながら飲み明かせるように。

来年もおめでとうと言えるように、良い曲いっぱい書いて待ってます。

MUD SHIP TOURSがどんな軌跡を遺して生くのか、よければこの先も見届けてください。

Vo.gt シュンペイ

BIOGRAPHY
Who is MUD SHIP TOURS?

愛知県を中心に活動中のオルタナティブロックバンド
2021.09.25 1st EP「white scale/捨てられた牌 EP」リリース

Member / L-R
Dr.げん Gt.アオキユウタ・チッチ Gt.Vo シュンペイ Ba.チョーソカベ